下記の飾り方は、あくまでも参考例です。
ご自宅でご自由に、お飾りしやすい形やオリジナルな方法でレイアウトをお願いします。
初盆・新盆・新棚は、地域により飾り方や迎え方が様々です。
これで無ければならないと言った決まり事はありません。
心静かに気持ちよくご先祖様をお迎えしましょう。
正面から
側面から
床(とこ)に置く場合
今年も暑い夏とともにお盆の季節になりました。
お盆は、一年に一度、先祖さまが、なつかしいわが家に帰ってくる日です。
お盆は数ある仏教行事の中でも最も大きな行事です。
なにしろ「盆休み」といって、日本中が休みになってしまうほどです。
お盆という言葉はどこからきたのでしょうか。
この盆という言葉、もともとは日本語ではありません。
漢字ですが中国語でもありません。
お盆の正式な名称は「孟蘭盆」です。「うらぼん」と読みます。
語源は昔のインドの言葉のウランバナです。
ウランバナを漢字に当てはめたのが「孟蘭盆」であり、略して「お盆」「盆」となったのです。
ウランバナは「倒懸」と訳します。
意味は、さかさまに吊り下げられた苦しみです。
そのような苦しみを受けている亡き人を救うための供養が、「孟蘭盆会」なのです。
また盆には器という意味もあります。
その器は、お盆に帰ってくる先祖さまに供える物をのせる器であったといいます。
それが「孟蘭盆」の盆と混じり合ったのではないでしょうか。
一口にお盆といいますが、時期は様々です。
一般的には七月十三日~十六日、ないしは八月十三日から十六日までです。
その他にも盆の始まりを一日とするところや七日とするところもあります。
昔は「七夕」も「七日盆」といっていました。
日本ではお盆の行事は古くから営まれてきました。
歴史をみると飛鳥時代(六五七)に斉明天皇が「孟蘭盆会」の法要を営んだという記録があります。
天平五年(七三三)には公式の年中行事になりました。
その後、平成の今日まで連綿として続いているゆかしい行事です。
お盆の行事が一般庶民に広まったのは江戸時代になってからとされています。
お盆には「地獄の釜の蓋があく」といういい伝えがあります。
昔は関東から中部地方にかけて七月一日を「釜蓋朔日」「釜蓋あき」「釜の口あけ」などと称して、この日を盆の始まりとしていました。
地獄の釜の蓋があき精霊が出てくる、それがお盆だと考えられていました。
昔の人は、この日に畑に行き地面に耳をつけると、地獄の釜の蓋があく音が聞こえるなどといって急いでお盆の準備をしたといいます。
先祖さまを迎えるために墓地までの道を掃除したりしていました。
これを「盆路作り」とか 「朔日路」と呼んでいます。
また近畿地方などでは七月七日を「七日盆」といい、盆の行事が始まる日、としていました。
今では星祭りとして各地で盛大に行われている七夕祭りも、もともとは盆行事のひとつだったのです。
「七日盆」は、食器や仏具を磨一くことから「磨き盆」とも呼ばれていたそうです。
先祖さまの霊をお迎えするには、それなりの準備が必要です。
昔は祖霊の依代となる花を野山からとってきました。
これを「盆花迎」「盆花とり」といいます。
盆花は、「精霊花」「仏花」とも呼び、本来は野山でとってくるものでした。
しかし現在ではそうもいきません。お店で買ってきます。
お盆に帰ってくる先祖さまの休まれる場所が 「精霊棚」です。
「盆棚」「魂棚」ともいいます。
「精霊棚」がしつらえられない場合でもお盆の時期は仏壇を特別に飾り、野菜、果物などを供えます。
「精霊棚」には、 キュウリで作った馬や、ナスで作った牛もおかれます。
これは先祖さまの乗り物です。昔は乗り物といえば馬や牛です。
昔の人々のやさしい真心が偲ばれますね。
馬には先祖さまが乗り、牛は荷物を運ぶそうです。
ちなみに牛や馬はお盆の前には内へ向け、お盆の終わりの十六日は外へ向けておく、とされています。
お盆の数日間は、先祖さまが肉親のもとに止どまるのですから、手厚くお迎えし、幸せに暮している姿を見せたいものですね。
盆に帰ってくる先祖さまのためにたく火を「迎え火」といいます。
「迎え火」は先祖さまの足もとを照らすと同時に悪霊を払うという意味もあります。
「迎え火」は十三日の夕刻に家の門口などでたきます。
この火は先祖さまの道しるべでもあります。
帰るべき場所を先祖さまに知らせてあげるのです。
実際、昔の町や村は今のように明るくありませんでした。
街灯などありません。
おそらく暗闇だったことでしょう。
地方によっては、高い山に登って火を振り回したりしていたそうです。
お盆の終わりの十六日にたく火を「送り火」と呼びます。
「送り火」は十六日の夕方にたきます。
十六日は、里帰りされていた先祖さまがお帰りになる「送り盆」の日です。
先祖が道に迷わないよう照らしてやるとされています。
盆の行事としては「送り火」のほうが「迎え火」に比べ盛大に行われます。
またバリエーションも豊富です。
京都の「大文字焼」も精霊を送る火祭りです。
静岡県では 「投げ松明」という行事があります。
村全体でかがり火をたき村起しの事業として行っているところもあります。
盆の終わりの十六日に、ワラや木で作った「精霊船」に盆の供え物をのせて、川や海に流す行事を「精霊流し」といいます。
精霊様は盆が終ると舟にのって極楽浄土に帰られるという考えから、このような行事が行なわれているのです。
この「精霊流し」も、もともとは、各家でワラやマコモなどで小さな舟を作り川に流していたものでした。
それが時とともに大きく豪華なものとなり、地域の観光の目玉としているところもあります。
現在では、一般の人で「精霊船」を作って流す人は見かけなくなりました。
しかし、「精霊船」の代わりに燈籠を流す行事は各地で行われています。
これを「燈籠流し」といいます。
「吉事盆」という言葉があります。
「吉事盆」は「生見玉」(生身魂)ともいいます。
その昔、日本ではお盆の季節になると、家を出ていた息子や娘が里に帰り一泊して両親と共に食事をしたといいます。
親に元気な顔を見せる、生きた身を見せたわけです。
そして、この伝統は、お盆休みを取り、故郷に帰るという形で、現在に受け継がれています。
お盆にお供えする『水の子』とは、洗った米と賽の目に刻んだキュウリとナスを盛り付けたもののことで、餓鬼道に落ちた無縁仏に対するお供えなのです。
なので、キュウリとナスを細かく刻むのは、餓鬼の喉が針のように細いからであり、水に浸すのは、餓鬼が食べ物を口に運ぶと燃えてしまうからなのです。
更に咽の渇いた餓鬼が食べ易いように、ミソハギで甘露の水を注ぐちいきもあります。
お盆に帰ってくるご先祖さまだけでなく、すべての霊をおもてなしする心遣いと優しさが感じられます。
水の子は簡単に作れるので、ご紹介いたします。
準備するもの
キュウリ、ナス、米、蓮の葉またはお皿(蓮の葉の代わりに里芋の葉を使う地域もあります)
① 米は研いで洗います。
② キュウリ、ナスは賽の目に刻みます。ナスは熱湯にサッとつけて、すぐ冷水に浸すと色が変わりにくくなります。
③ 蓮の葉またはお皿(里芋の葉)の上に、米とキュウリとナスを盛り付けて、出来上がり。
地域によって、水に浸したり、水を入れなかったり、彩りにニンジンを入れることもあります。
◎ほうずき提灯
みたま迎え、みたま送りに用に使います。
ほうずき「鬼灯、鬼燈、酸漿」と書きます。
水の子1
水の子2
ほうずき提灯
インターネット上には、様々なお盆の風習・習慣・習わし・まつり方・供え方等々が掲載されていますが、当社としては曖昧なお答えで大変申し訳ございませんが、「地域によって大きく違います」。
なので、地元の方が仰られる方法が一番良いと思います。
永く受け継がれた習慣です。
風土も気候も宗派も色んなことが違うのです。
唯一、言い切れることは仏様・ご先祖様に「手を合わすことが一番です。」
あとは、皆様のやりやすい形でおまつり・御供えをしましょう。
「お盆の用意は大変だ」「お盆の用意はお金が掛かる」「お盆の用意は苦痛」などと思うことがご先祖様が悲しまれることであり、イヤイヤやってもご先祖様は喜ばれませんね。
一番良いことは「手を合わせ、あなたができることを出来る範囲の中で行うことです。」
ご先祖様がお帰りになられるワクワクするような楽しいお盆を迎えることが最も重要です。
皆様が笑顔で手を合わせることができるよう、ごくらくや佛檀店も応援致します。
仏事でお困り・お悩みの事があれば、ご遠慮なくご相談ください。
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