弊社がこだわる「人の繋がり」
忘れられない忘れてはいけないあの日の存在
1995年1月17日
我々は経験したことの無い未曾有右の地震災害を目の当たりにしました。
何が起こったのか瞬間的に判断できなかった「揺れ」
自宅は食器が散乱、幸いにも家族は怪我もなく、直ちに会社へと向かいました。
会社は揺れの方向性からなのか幸いにも商品も落下もほとんどありませんでした。
午前8時頃から阪神地域のお客様から「仏壇が倒れた」「仏壇が壊れた」「何とかして欲しい」等々、お電話が10時半頃までひっきりなしに掛かってきたのです。
ところがその後、まったくお電話が掛からなくなりました。午前中早めの時間は電話が繋がっていたからのでしょう。
弊社では、17日の当日は状況確認、18日に必要資材を配送車に積み込み、阪神高速が通行止めの為、19日の早朝まだ暗い時間に加古川から三木市経由北神戸側から神戸トンネルを抜け神戸の町に入りました。
そこには、私たちが知る神戸の町が無かったのです。
まずは伺うことの可能なお客様宅を探します。住宅地図が役立たないのです。
その日は、数件のお客様宅で修理・転倒防止金具取付などを行い夜中に帰社。
翌日は、現地で必要と感じた物を調達することにした。それは、
仏具関係では無く、「水・パン・バケツ・ビニール袋」など昨日必要だけれど手に入らないと仰っていたお客様が多くいらっしゃったので
それらを車の半分くらいまで積み込んだ。
不思議だったのは
弊社のお客様で「お仏壇を預かって欲しい」という方があまりいらっしゃらなかったのでした。
私どもが「お預かりしましょうか?」との問いに、お客様は「手を合わせたいからこのままで良い」と言われた方が多かったのにも驚かされました。
後に自宅の建て直しや修復が始まるまでは本当に少なかった記憶があります。
修理に一日掛かったお宅もありました。
ご自分たちが大変なのにもかかわらず、飲み物や食べ物を出してくださるお客様。私たちが持ってきた「パンや飲料水」を「あなたたちも食べなさい」と出してくださるお客様。
「うちよりももっと大変なお宅があるだろうに申し訳ないね」など
震災で大変な生活をおくられている中で、弊社へのお気遣いに、人のあたたかさ・思いやり・繋がりの大切さを教えて頂きました。
数日後の訪問時には、電気も通ったしIHコンロが使えるから「自慢のお好み焼き食べていき。とは言っても、粉と水とあり合わせの食材入れてるだけだけれどね」と笑顔で。
車に乗った後、涙か止まらなくなった記憶があります。
弊社は商品を販売させて頂いて成り立つ会社です。
しかしながら、商品を販売する以上に、買って頂きたいものがあります。
それは、
ごくらくや佛檀店と社員の心です。
ごくらくや佛檀店は創業以来、お客様との繋がりで支えられたお店です。
そして、これからも不変のものであります。
ネットという新しいコミュニケーションの取り方ではありますが、私どもはいつまでも「対面販売」を変えることはありません。
その象徴が、カピル21店の外に掛かった「ヤクラクゴ」(右書)の看板に込められています。
「ヤクラクゴ」の看板については、後日メインホームページでお知らせします。
長文、失礼しました。